まちしるべ55 神明神社 56松永坊

神明神社

江戸期後期の新編武蔵国風土記稿には「神明社 松永坊持」とあり、松永源太左衛門が祀ったと伝えられています。

まちしるべ55神明神社
まちしるべ55神明神社

おや、屋根が左右対象になっていません。最近は、お参りしたあとで後ろや横も見るようになり、気づきました。流造り(ながれづくり)というものです。

まちしるべ55神明神社

松永坊

新編武蔵風土記稿には「松永坊 黄檗宗。葛飾郡牛島村、弘福寺末星谷山と号す。元禄年中 松永源太左衛門と云う村民起立せしにより、坊号とせり」とあります。もともとは山号が示すとおり、星谷地内にあり、明治時代の初めに現在の地へ移ったと思われます。

まちしるべ56松永坊・源太山

現在は、宿集会所となっています。

まちしるべ 56松永坊・源太山

集会所脇の道端にある不動明王と青面金剛

まちしるべ 56松永坊・源太山

参考:郷土資料館「山崎地区を行く」

行ってみたい人は

神明神社マップ

まちしるべに関する宮代町の説明資料

宮代町では文化財案内板(資料館屋外展示説明板を除く)を町内 113 か所で設置 する予定です。現在、42 か所(ふるさと歩道を含む)に設置されていますが、修理 や改築を計画している所もありますので再整備が終了したのは 37 か所です。

宮代町郷土資料館の資料(平成29年7月15日)より引用

文化財案内板位置図
http://www.town.miyashiro.lg.jp/cmsfiles/contents/0000007/7286/annai.pdf

まちしるべ雑感(14)

55、56とも案内板はありません。

先祖が集った場所が整備されて集会所となっているのを見ると、新しく宮代に移り住んだ者には羨ましくもあります。

<まちしるべ巡り 一覧>
https://www.74photo.com/happybox/category/today/machishirube/

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