3月8日〜9日の二日間、日本遺産#61の「星降る中部高地の縄文世界、数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅」に行ってきました。
縄文土器に描かれた文様は何を意味するのか?
彼らは、どんな人たちだったのか?
過酷な自然環境の中で暮らした縄文人は、命の儚さ、それゆえの尊さを土偶や土器の文様をとおして表現したのでしょう。
美しい山並みに囲まれた、発掘されたまさにその場所で見る土偶や土器は、都会の美術館で鑑賞するのとは異り、心やさしき縄文の人たちが生きた5000年前の世界へと誘ってくれました。
井戸尻考古館の小松隆史館長にご案内いただき、
1日目は
釈迦堂遺跡博物館、山梨県立考古博物館、梅之木遺跡
2日目は
尖石縄文考古館、中ッ原遺跡、黒曜石体験ミュージアム
を訪れました。
釈迦堂遺跡博物館
釈迦堂遺跡群は中央自動車道建設に先立ち調査、発掘された縄文遺跡です。5,599点の重要文化財を所蔵しています。遺跡は現在、高速道路になっており、博物館は釈迦堂パーキングエリアに直結しています。
博物館からの眺め
4月になると、桃の花が咲き誇るそうです。
水煙文土器
煮炊きに使う鍋に、なぜ文様をつけるのか?単なる装飾ではない、深い想いとは・・・
有孔土器
駐車場の案内板の隣に置かれたレプリカのモデルでもある「しゃかちゃん」と名付けれらた土偶。合わせて1,116もの土偶が出土しています。
こちらは「しゃっこちゃん」と呼ばれています。
ほとんどの土偶は壊された状態で出土しています。無事な出産や命の再生を願ったのでしょうか。
笛吹川フルーツ公園で、富士山を眺めながらの昼食
今回の旅は「縄文トレイルモニターツアー」というもので、5000円というありがたい参加費でしたが、豪華なランチをご用意いただきました。
季節的に、笛吹川フルーツ公園内で果物の栽培の様子は見られませんでしたが、たっぷりのフルーツが入ったサラダです。
そして、メインは山梨県と関係があるのかどうかわかりませんが、豪華なローストビーフ丼。
昼食の後は、美しい山並みと富士山の姿を眺めながら、縄文人が暮らした地域について、お話をうかがいました。
山梨県立考古博物館
午後は山梨県立考古博物館へ。
深鉢形土器
「いっちゃん」と名付けられた一の沢遺跡出土の土偶
顔面装飾付土器に惹かれました。
子供が生まれ出る瞬間のように思えます。
そして、これは亡くなった子供を入れたといわれる埋甕です。無事の出産を願う土偶、亡くなった子の生まれ変わりを願う埋甕。縄文の人たちが最も大切にしたのは、命です。
梅之木遺跡
続いて、縄文の復元住居を見られる梅之木遺跡へと向かいました。150軒ほどの竪穴住居が発見された集落跡です。
ここで伺った話に心を打たれました。縄文人は、けっこう広範囲を行き来し、交流していたようです。そこでは物々交換は行われておらず、例えば大切な黒曜石の石器を土産として持って行き、帰りに別の土産をもらって帰る。つまり、贈り物という形をとっていたというのです。
抗うことのできない大自然の脅威の前で、互いに贈り物をし、戦うことをせず、命の再生を願った縄文人は、なんと心豊かな人たちだったのでしょう。人類が進化できた理由は、ここにあったのです。その血を継ぐわれわれは、いまも進化し続けているのか?まさか滅亡に進んでいるのではあるまいか・・・
復元作業は石斧づくりからスタートしたそうです。
石斧で伐採するところを実演していただきました。
川へ降りる道も見つかり、復元されています。
食べ物にも、住居づくりにも、栗が重宝されていたそうです。落ちた栗と一緒に、当時に想いを馳せて写真を1枚(笑)。
まもなく日の沈む復元住居跡を最後に、今日の見学は終了です。