まちしるべ50 山崎遺跡 48笠原沼

宮代町に縄文人が暮らしていたとは感激です。2018年春、八ヶ岳を中心とした中部高地に広がる縄文遺跡を旅してから、過酷な自然環境の中で芸術性の高い土器やビーナス土偶を作った心やさしい縄文人はまさに日本人の原点だと思うようになりました。

まちしるべ50山崎遺跡
(2021/4/10撮影)写真を拡大してお読みください。

まちしるべの隣に小さな見晴台のようなものがあります。その足元には、このあたりの案内図が。後ろに見えるのは東武動物公園のジェットコースターです。

まちしるべ50山崎遺跡

汚れていたので、ちょうど持っていたウェットティッシュで拭いて、案内図を撮影。

まちしるべ50山崎遺跡

さて、たいして高くもない見晴台にのぼってみました。

まちしるべ50山崎遺跡
まちしるべ50山崎遺跡

奥はハーブガーデン、手前は農園です。このあたりに縄文人が暮らしていたのかどうかは分かりません。しかし、見晴台があるということは、ここから見える範囲なのでしょう。

まちしるべ48 笠原沼

亨保13年(1728年)笠原沼落掘が開削されて新田開発が行われるようになったが、笠原沼新田は窪地のため串歯状に堀を掘り、その土をかさ上げすることで耕作面としたためホッツケと呼ばれる堀が多数残ってると書かれています。

まちしるべ48笠原沼
(2021/4/10撮影 写真を拡大してお読みください。)

まちしるべ48が立っているところの風景です。原っぱのように見えますが、6月になると江戸時代の水田開発を今に伝える稲作体験ができます。

まちしるべ48笠原沼

場所は新しい村の隣、まちしるべ50 山崎遺跡にある案内図にも載っています。

行ってみたい人は

まちしるべに関する宮代町の説明資料

宮代町では文化財案内板(資料館屋外展示説明板を除く)を町内 113 か所で設置 する予定です。現在、42 か所(ふるさと歩道を含む)に設置されていますが、修理 や改築を計画している所もありますので再整備が終了したのは 37 か所です。

宮代町郷土資料館の資料(平成29年7月15日)より引用

文化財案内板位置図
http://www.town.miyashiro.lg.jp/cmsfiles/contents/0000007/7286/annai.pdf

まちしるべ雑感(9)

稲作体験をやっているのは知っていましたし、ホッツケという言葉を聞いたこともありましたが、歴史をひもとけば江戸中期の新田開発に遡るとは驚きです。

<まちしるべ巡り 一覧>
https://www.74photo.com/happybox/category/today/machishirube/

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